自分語り

本稿は2024年9月に投稿しています。

他人の自分語りって好きですか?
聞く立場として自分ならどうだろうか。人それぞれ生い立ちや境遇は違うので、やっぱり面白いですかね。
ただ、ブログに文章として載せるとなると、最深部はちょっと書けないですね。やや面白みに欠けてしまうかも...
40年以上も生きていれば、酔っぱらっていないと話せないことが1つや2つではありません。

本稿に動物医療の話はないです。

「動物は飼っていないですがブログは読んでます」と言われることがあったり、会社員時代のオフサイトミーティングの最初の自己開示としての自分語りの評判が良かったりなどありまして、自分自身としてはさして面白いとは思いませんが、私のつたない自分語りでも興味深いと捉える人もいるのだというのは自覚していたりします。

会社員時代と書いておりますが、会社組織の中で臨床獣医師をしていたというだけでして、デスクワーク等のみを行う職業についていたことはありません。一貫して臨床獣医師として人生を歩んでおります。そう、「人生」と入力しようとすると「腎性」が最初に出てきてしまうくらいには臨床獣医師をしております。

PCの変換候補のせいで脱線しそうになりましたが、トップ写真が私の生い立ちを表しております。
これ何だかわかりますか?エレベーターって言います。
そうそう、ビルとかにあって上り下りする...ってどう見ても違いますね。名前は同じなんですが、これは歯を抜くときに歯根膜腔に入れる道具です。平たく言うと、抜歯のためにほじる道具です。
どうですか、めちゃくちゃ年季が入ってませんか。当院開院2年目ですけど。

これはですね、父から譲ってもらったものなんです。実家は開業歯科医でした。
人間用なので、ちょっと大きいですがとても使いやすいです。動物医療用で縦みぞ入りって見たことありません。この溝がいい仕事してくれます。

私は、とある開業歯科医の息子として生まれました。祖父は両親が結婚する前には亡くなっていたので会ったことはありませんが、眼科医だったそうです。祖母の実家もお医者さん。
そんなこんなで何となく医者歯医者にならなきゃいけないような空気感の中で幼少期を過ごしましたが、いろいろありまして獣医学科に進むことになりました。ごめんねご先祖様。謝らなきゃいけないことなのかわからんですけど。

国立大学の獣医学科だと小動物臨床にすすむ人は半分以下なんですかね?私の母校は都内の私立大学なので、ほとんどの人は小動物臨床(ペットの獣医さん)に進みます。獣医師の他の進路としては、公務員や産業動物臨床(牛馬豚など)等があります。
公務員になる人はいたと思いますが、産業動物に進む人は稀でした。学内に牛がいないですし。
学生時代はドラムを叩いていた記憶しかないくらいドラムを叩いていましたが、その割には上手くはならず下手の横好きでした。
勉強はテスト前しかしませんでしたが、そんなこんなで流されるように小動物獣医師になりました。

卒後は、今考えれば都内にとどまって友人とのコミュニティを切らさないようにすべきだったと思いますが、どうしても車を持ちたくて地方に就職しました。右も左もわからない基礎系研究室出身なので、新卒での勤務先にはご迷惑をおかけしたと思います。
何もできない資格だけある人でしたが、獣医大学がない地方だと獣医師の採用が困難なので、とりあえずは資格があるというだけで雇ってもらえていました。
しかし、勤務先が既卒で即戦力の獣医師を雇用できまして、短期間で退職することになりました。実質クビみたいな感じでした。
で、その後は都内の動物病院に転職しまして、ここは人数も多くて楽しかったのですが、人が多すぎて外科経験を積めないのでまた転職しました。都内ではない関東で、たいへん外科の技術に優れた院長の動物病院でした。
ただ、自然とできる人って、できない人が何でできないのか理解できないところがあるじゃないですか?「何で俺の言う通りに真似しないんだ!できないんだから自己流でやるな!」って怒られるんですけど、こっちとしては必死に真似しようとしているんです。
心が折れて退職しました。

心が折れての退職ですから、その時はまだ開業しようなんてとても思えませんでした。
ただ、まだ子供はいなかったものの既に結婚していたので、どうにか食い扶持を探さなければならず、開業せずともそれなりに身分が安定しそうだな、という理由で、開業前に勤務していた会社の前身の会社に入りました。動物病院やトリミングサロンを全国で多店舗展開している会社でした。
ショッピングセンターの中でペットショップの隣にある動物病院なので、予防医療が多く重症例が少ないこともあり、徐々に心が回復していきました。
会社員時代は、自分が原因であることもそうでないことでも、良いことも悪いこともいろいろありましたし、会社が吸収合併されたりなども乗り越えて、サラリーマン獣医さんとして10年以上を過ごしました。
臨床獣医師として、「企業」と言えるようなそこそこ大きい規模の会社に10年以上所属し、労働組合の委員としての春闘なんてものを経験したり、逆にマネジャーとして管理側の末席も経験させてもらい、普通の獣医さんよりは一般社会に近い部分を体験できたのは得難い経験でした。
ただ、常に「どうしても嫌になったら開業すればいいや」と思っていたので、そこは私たちが精神的に楽なところで、本当の世間の厳しさはわかっていないと思います。簡単には辞められないのが本当の苦しさですよね。

自分のその時の立場を肯定したいのが人の本能ですから、サラリーマンだった当時はアトキンソンを信奉しておりました。「中小企業基本法が日本の生産性を低くした」ってやつです。
個人の動物病院が乱立するよりも、自分たちの会社が大きくなることこそが日本の獣医療業界を良くすることにつながるんだと考えておりました。
今はまた立場が変わって開業した自分を肯定したいので、「アトキンソン理論は解雇規制が緩くて労働者の流動性が高いアメリカだけで通用することであって日本は違うでしょ」と思っていますが。

何で開業したのかっていうと、やっぱりまた心が折れたんです。会社員として勤務し続けることは耐えられませんでした。
どんな職業も似たようなものだと思いますが、特別な専門性がないまま組織の中で年齢を重ねると管理職になっていきます。管理職になると持ち場が大きくなるのですが、前のポジションの後任がいるわけではなく兼任なので、私には重すぎる職務でした。
目の前に診療を必要とする動物と飼い主さんがいるのに、離れた別のグループ動物病院のことを同列に考えることはできませんでした。

ただ、これは良い気づきでした。
小動物臨床に対する動機は弱く、数々の挫折で心を折られながらも、これしかできないのでどうにか続けてきた仕事ですが、今の自分にとってはサラリーマン的に管理職の仕事をするよりも、目の前の動物と飼い主さんの方が大事になっているということを自覚させられたわけです。
会社に入るきっかけの1st心折れは、「臨床獣医師は自分には無理かも...」っていう折れで、会社を辞めるきっかけの2nd心折れは、「管理職は無理。臨床獣医師でありたい」っていう折れです。
2nd心折れは、当時の立場としてはもうダメです。専門医とか認定医とかでもなく、管理職仕事に色気を見せていたくせに結局やる気がなく、現場にいたい中年は不良社員です。組織の歯車としては適さない人材になってしまいました。

そんなこんなでここで開業しました。
開業して2年目になっておりますが、最近でも「ユニモの時に診てもらいました」なんていう方がいらしたりしております。
ユニモは確か2013年までだったと思うので、あの頃の子犬子猫さんたちは、若くてももう11歳なんですね。
2010年からちはら台→2013年からおゆみ野→2023年から学園前(現在)でこの仕事をしておりますので、かつてご縁があった動物と飼い主さんにまた出会えると嬉しいです。
もちろん、学園前での新たなご縁も嬉しいです。

今後とも、はら動物病院をよろしくお願いいたします。