自己紹介 原

こんにちは。院長の原です。
閑散期ですし開業したばかりですしで外来数が少ないので、頑張って獣医療コラム的にブログを書いておりましたが、ネタがつきてきたので自己紹介します。

ブログのPVはごくわずかですが、特定の症状でお困りの方にご覧いただいて、結構遠方の飼い主様がいらっしゃり、当院の処方で症状が改善されたりもしているので嬉しい限りです。どこの動物病院で何ができるのかってわからないですもんね。これができますよ!って言っておくのは大事ですね。

写真は今年の元日の故郷の風景です。右下にチラっと写っているのは息子です。個人が判別できるような写真は家族であっても載せないですが、これくらいならいいかなと。
私は千葉県内出身です。釣り好きな人は漁港の形とかでどこだかわかるみたいですよ。凄いですよね。
出身地は安房郡鋸南町です。
かつての安房郡はほとんど南房総市になってしまったので、今は安房郡=鋸南町なんですよね。
出身中学は私たちの1つか2つ下を最後に統廃合でなくなりました。みんな歳を取り、同窓会でもという話が出ているところでコロナ禍になってしまって結局実現しないまま。開業しちゃったので今後開催されても行けない可能性が高そうだな。
小学生の頃、「押す」ことを「おっぺす」って言うのは標準語だと思っていました。房州出身で我々の世代以上であればご理解いただけますでしょうか。
(例:んだよ!オメー!おっぺすなよ!!)
※房総半島のことを房州という言い方をする人は房総半島出身者の可能性高し。

高校は木更津市の志学館高校ってところなんですよ。同級生が当院に来てくれたり、同じく獣医師として五井で開業していたり。あんまり青春を謳歌したとは言えないような薄暗い高校生活でしたが、そんな薄い縁でも年を経て繋がってくれるのは嬉しい限りですよね。
高校生の思い出を何とか振り絞って思い出すと、冬の朝内房線に乗って木更津に向かうわけですが、竹岡くらいかな、車窓から海が見えます。特に寒い日には海から湯気みたいなものが立ち上るのが見えるんですよ。蒸気霧っていうらしいのですが、漁船も出ていたりすると大変幻想的で美しい光景だったのを思い出します。

で、いろいろありまして、2浪します。1年目は松戸の予備校の寮に入ります。2年目は横浜。
大学は都内の日本獣医畜産大学ってところでして、今は日本獣医生命科学大学という名前になっているみたいですよ。
大学では、基本的に音楽サークルに入り浸りで、あまり勉強はしていませんでした。試験前だけ徹夜するタイプでした。
スタジオに入り浸りの割には才能がなく、たいして上手くはなりませんでしたが、今でも聞くのは好きですよ。メタラーです。
でも、マニアックでして、今ならメタラーの皆さんはメガデスの日本公演で現メンバーがマーティーと共演したことが話題なのでしょうが、私はどうも天邪鬼でして有名どころはなかなかはまれないのです。
今はBloodywoodとか聞いてますよ。Yaadは泣ける名曲です。亡くなった犬の曲なんですよ。動物のことを想うバラードってなかなかないですよね。亡くなった犬を想い続けることを肯定的に捉えて、未来志向で生きていこうという素晴らしいメッセージの曲です。このバンドのいかついお兄さんたちは、動物保護のための車両を寄付したりもしているみたいで応援したくなります。インドのバンドです。
サブスクで世界中の曲が聞けるようになって、北米や西欧北欧だけでなく、インドやトルコ、香港、タイ、韓国、ロシアなど、様々な国にお気に入りのバンド(やギタリスト)がいます。

何の話でしたっけ。まぁそんな感じで卒業しまして、なぜか静岡県の動物病院に入りました。何もできない知らない状態だったので、今考えればいろいろとご迷惑をおかけしたかなと思います。いろいろありまして退職して、次に都内の動物病院に入りました。で、また辞めて、千葉県内の動物病院に入りました。その次に前職につながる会社に入りました。
この会社では、最初大阪に行きまして、大阪と兵庫と京都の3箇所の動物病院を回っておりました。で、関東に異動になって、「あれもこれも何でも、ユニモ。ちはら台!」に赴任しました。その後2-3年くらいで会社の合併というか買収(された側)があって、イオンタウンおゆみ野に移って9年くらいですかね。ずっとそこで診療していました。

鋸南町→松戸→横浜→東京都小金井→静岡県富士市→東京都墨田区→千葉県我孫子市→大阪府摂津市→千葉市と転々とした人生でしたが、2010年からはこの地域に定住し、動物病院で診療し続けています。当院は自宅兼ではありませんが、自宅は自転車で通える程度の距離にあります。もしこの場所が自宅だったら子供たちは扇田小学区なのかな?と思ったり、ユニクロもユニモに移ってしまうとイオンタウンおゆみ野はどうなっちゃうのかな、と心配したり、おゆみ野と仁戸名のどっちのめん丸に行くかで悩んだりしている地域住民の一人です。

10年以上チェーンストアの中の人として診療を続けてきましたが、この地域でかかりつけ獣医師として生涯を送りたいと思うようになりました。
こんなこと言って良いのかわかりませんが、動物が亡くなって悲しみが落ち着いた頃に、「この子には十分なことをしてあげられた。共に過ごせて良かった」と充足感を持っていただくことを理想にしています。ほとんどの場合ペットは飼い主より先に亡くなります。悲しいことではありますが、一生を共にできるのは素晴らしいことでもあると思います。
確実な予防医療、疾患の早期発見のための健診、必要十分な検査、適切な治療、最良の二次診療施設のご紹介を行い、後悔を生まない獣医療を目指します。様々な理由から病気の発見が遅れてしまうことや、最良の治療が受けられないこともありますが、それでも、その置かれた環境の中での最善を共に悩み、悲しさ/苦しさの一部でも私や当院スタッフが持たせてもらうことで、「動物と共に過ごせて良かった」と思っていただきたいと考えています。

企業社員であることは安定した身分でした。子供が小さい間は大変ありがたい身分だったと思います。今でも前の会社には感謝の気持ちを持っています。
しかし、自分の理想を実現するには壁が多い状態でもありました。どんな会社でも、被雇用者である以上は全ての決裁権限が自分にあるわけではありません。自分が納得できる形で、かつこの土地を離れずに臨床獣医師を続けるためには開業以外の選択肢はありませんでした。

当院は、診療内容にしても接遇にしても動物の最期の時にしても、飼い主様に「良かったな」と思っていただけることを目標にしている動物病院です。
そんな動物病院がいいなと思っていただけるようでしたら是非はら動物病院をご利用ください。